産地の声)vol.1211 <稲刈りと昔?> 2015.9.30
ムラの水田には私の稲しか残っていません。一番最後に植えたのだから一番最後になるのは当たり前なのかも知れませんが、私的にはもう少し早く終える予定であったのです。
天気のいいときはイベントや行事があり、さあ始めようとすると雨が降ります。そうなると雨が上がってもすぐには刈れません。稲は良いとしてもコンバインの歩く地盤が緩んでコンバインが動かなくなってしまう恐れがあるからです。
そうして時を選んで始めるのですが、とうとう田んぼにはまってしまいました。泥田で心配していたところは何とか刈れたのですが、大丈夫と思われた田んぼでエンコです。前進もできずバックもできずしばし考え込んでしまいました。
どうやってあげようか、バックホーがいいかトラクターでワイヤーをかけて引っ張るか、などと現場の状況を見ながら決めなければなりません。詰まるところ家に帰ってワイヤーを持ちトラクターを運転して田んぼへと行きました。
すぐ前が道でエンコしていますからバックするしかないと田んぼに入ったらトラクターもはまりそうです。娘が「お父さん!前から引っ張ったらいいじゃない」というのでやっとの事でトラクターを田んぼから上げて隣の田んぼを借りて何とか上げて刈り取りをすることができました。
それでも昔を思えば楽ちんです。50年前は全て手作業、鍬と鎌の仕事でした。鎌で刈り取り、そしてわらで一束一束にします。ある程度刈ったら次は稲束をかけるオダを結います。そのオダに稲束をかけるためです。そして束にした稲をオダまで運びオダにかけます。天気が良ければ3.4日ですが雨があるとその分日にちがかかります。
そして乾燥が進んだ稲束を大束にして家に運び脱穀作業をして、といった一連の作業があって乾燥、籾すり、軽量、俵詰めをしていました。そういう歴史が千年以上続いてきた、といいますが、この50年の進歩?は全くの様変わりです。
50年前に今のようになるとは想像もつきませんでした。仲間の談です。「便利になって仕事は進むようになったけれど、なんだか昔より忙しい気がする。昔は大変ではあったけれどもっとゆったりしていたように思う。」「進歩や効率が果たして幸せなのか、分からないところがあるなあ」「田植えが遅い家があれば手伝いに行ったり、共同の力だとか協力し合う関係があったよな。」心を通わせたり、思いやりの場がなくなって、人間関係が薄く弱くなってきたようです。
by高柳功
コメントをお書きください