(産地の声)vol.1221 <不作と豊作> 2015.12.9
毎年のことだが、落花生の煎り作業が始まった。今年は落花生が不作でお客さんに十分行き渡らない。3軒の農家で栽培していたのだけど一軒農家で病気になってその分が当農場に入らない。その上で不作が重なった。
世間的にも不作で市場相場が倍近くになっているという。とりあえず予約分だけでも間に合わせようと始めたのだが、先が少ないと思うとさびしい。
今日新規就農の娘さんが落花生を脱穀してほしいと軽トラックに積んできたのだが、脱穀してみると実が悪くとても商品にはならない品質で、かわいそうだけれど致し方ない。
一方新聞には、「野菜が豊作で消費者喜ぶ!」との記事。農家的に言えば「何言ってんだろう」「農家の側からの見方はまるでない」といつも思う。野菜の安いことを喜ぶ気持ちはわかるけれど、つくっている農家からすればそんな時は、せいぜい経費がでるかでないかのことになる。
農家の側からすれば、野菜の不作の時は値が上がり倍に価格が上がったとしても半分しか取れなければ同じになる。喜べないのだ。一方の不幸で片方が喜ぶ社会状況は公正ではないと思うがどうなのだろうか。
そんな状況では農家の後継者もどんどん減って、なり手がいないという当然の成り行きになる。それがここ半世紀の進んできた歴史のように思う。これからの日本人の食は誰がつくったかわからない。どのようにつくられたかわからない。遺伝子組み換えなのかどうかもわからない。そういう食事をすることになる。
TPPが始まればますますそういう道を歩むことになる。日本人の命はどうなってしまうのだろうか、とても心配になるのです。毎年1兆円づつ増加して今にも40兆円の医療費時代が来るというのに、そして私たちの体は食べ物で成り立っている、というごく当たり前のことが意識されていない日本人!。
今日は、愚痴を書いている。先進国は農を大事にしている。農と食は表と裏の関係で、自国の国民の命を守るという矜持を持っている。農地を守り農家の経営を守っている。アメリカでは国土保全庁という機関を設け3億5千万人の食糧を確保するため年次計画をつくり、土壌の流出や保全のための事業をかたくなに行っていて、そのための経営主体をなんとしても守ろうと財政支出を惜しまない。
この国は、自給率3割で広大な農地を荒れ野原にしようとしている。自然と共存してきた美しい日本!だったが先の見えない世の中になってしまった、と出会う人みなが言うのです。 byおかげさま農場・高柳功
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