大豆の収穫

(産地の声)vol.1271         <大豆の収穫>    2016.12.14

 先週霜が少ないと書きましたが、書いた翌日はたいそうな霜でした。外に置いた車はしっかりと霜が張り付き、乗ったら全く前後が見えませんでした。

 

 家の前に蒔いた麦は青々と成長を続けています。こんなに寒くとも生育する姿には癒やされます。眼前に青さが広がるのです。

 その隣は、青大豆の畑で雨予報が出たので2日前に急遽脱穀しました。総勢4人で、刈り取った大豆を集めトラクターについている脱穀機を持って行き、なんとか終わらせることが出来ました。

 この大豆は、味噌や黄な粉用です。昨年は不作で、あちこちから求められましたが需要に応えることが出来ませんでした。が、今年は間に合いそうです。先月に納豆つくりをしましたが、納豆にするには一晩漬けて煮ます。

 納豆にするよりもそのままにまめで食べた方が美味しかった。10人近く集まってみんなで納豆を仕込んだのですが皆さん上手くいかなかったようです。

 食用油も遺伝子組み換えの種が普及して来たことに反応して10数年前から自給しています。今年の菜種油も取れ高は少なかったのですが美味しいです。

 安心できない食べ物が出回っているようです。

 最近の週刊誌には、食べてはいけない油とか、食塩は取り足らない方が病気に罹るとか、小麦のグルテンが健康に良くないとか。さらにアレルギー症の種類が増えて食べるものを見つけるのに難儀している人まででてきています。小麦から始まって最近はお米までアレルギーになる人までいます。

 全く個人的な、かつ独善的な考えですが、身土不二から大きく離れ、かつ化学物質による添加物のせいなのではないか、と思っています。分子生物学者の弁ではありませんが、国の定める基準以下だから、というのは安全とイコールではない、と言う見解に賛同します。

 私たちの体は数年前の体と変わらないと言われます。一方でスーパーなどに並ぶ加工食品群は添加物、それも化学物質による添加物が嫌になるほど記載されています。私たちの体は自然界と繋がっています。自然界に存在しないものを食べていることになります。

 無着先生は、良い食べ物は腐るものです!と言っていましたが、時間が経っても腐らないものは怖い。腐るものを腐らないうちに調理して食べる技を持ったのが人間だと思うのです。その食文化が廃れている現状に危惧を抱いています。

                    おかげさま農場・高柳功