(産地の声)vol.1327 <当たり前を失念している時代> 2018.1.17
研修生が風邪を引いて寝ています。昨日あたりは喉が痛い、と言っていたのですが、今日は熱を出してます。医者に連れて行こうとしたのですが、「大丈夫だから」という。まだ若い娘さんですから心配なのですが、案外気が強いのです。
研修や体験の若者を受け入れてきましたが、病気や怪我が一番の心配事です。夏には研修していた娘さんがそのまま居着いてパートで出荷作業していましたが、熱中症にかかり救急車で運ばれることに。
農場では労災保険に入っていたので手続きをしたものの労災適応になったのかなんの連絡もなかったので心配してたのですが、適応だったことが分かり一安心したばかりです。
野菜の健康も人間の健康も同じです。いくら気をつけていても、干ばつや台風寒波などに逢えば何が起こるか想像外のことが起こります。
今冬の野菜不足にしても、例年の天候だったらこんなことにはなりません。誰にも予測できない事が起こっているという事でしょう。
友人が来て「どんどん後継者がいなくなって後でとんだことだと思っても間に合わねえだろうな」という。自動車を売るために米を義務輸入している日本。国内では作らせないで、75万トンも豊凶に関係なく輸入をしています。さらにTPPで7万トン輸入枠を増やすというのだから国内の水田は益々荒れる。
そんなことが進行してしていますが、「このツケはきっといつか巡り巡ってくるよな。俺はそう思う」「今の野菜不足、価格高騰だってその兆候じゃないか。」「いつまでもあると思うな親と金、なんて諺もあるよな」と友が言う。
愚痴を言っているとキリがありません。でもとても心配しているのです。ビジネスや経済成長の話などではないのです。日本人がこれから50年後も100年後もちゃんといのちが続くのか、と言う問題意識なのです。
有機農業運動というのは、50年後も100年後も続く農の姿を模索する運動です。人間と自然の関係を大事にして次の世代に渡す事が使命です。
食べなければ命は続きません。食べ物を作るには広大な土地、そして種を蒔く人がいなければ食べられません。
そうしたごく当たり前のことを失念している時代になっちまったなあ!と言う嘆き節で友との語らいが終わりました。
おかげさま農場・高柳功