(産地の声)vol.1338 2018.4.4
3月26日に蒔いた稲が一斉に芽を出し青葉が広がっています。2回目の種も浸種途中なのですが、芽を出し始めてしまいました。日中に気温が高かったためでしょう。昨日慌てて水槽から出して水切りしました。芽が出過ぎると種蒔きに支障が出ます。
植え付けの田んぼに肥料を少し施し、田耕を始めました。10年ほど前にはこの時期には各家から人が出て賑やかな光景があったのですが、田んぼに出ている人はまばらです。後継者不足でみんな勤め人になってしまったのです。
国は景気上昇とか、経済成長だとか言ってますが地方はますます人がいなくなり農業だけならず、村落の存続が危ぶまれています。先日も知り合いが来て、「うちの村も無住の家が増えてきた。どうなるんだろう」と話していましたが、本当のところどうなるのか。見ようによっては地方の崩壊のようにも見えます。
村の歴史を振り返れば、この地は千年以上の歴史があります。千年も前に田んぼを切り開き、安住の地とするために努力を積み上げてきた先人の苦労を思うとこれでいいのか、とても気になるところです。
一方3月に有機農業研究会の全国大会が東京で開かれ研修生と参加しました。農と食は表裏の関係です。それがとんでもない方向に進んでいる、という話がありました。種子の自由化と遺伝子組み換えの進展です。
どこの国も自国民の食のために種子を国家管理してきました。食料の安定的供給のためです。ですから、各県に農業試験場をつくり地域にあったお米や野菜などの種子を保存し、品種改良や種子供給をしてきました。
それを自由化する、として種子法を廃止してしまったのです。いわば種子会社がこれからの権利を持ちなおかつ農家が種子をとるのは違法だというのです。モンサント社は、種子を制するものが世界を制する、といってはばからない種子会社ですが、さして議論もせずに守り通してきた(国民と種子を)放棄することを良しとする事になったようです。
「汝とは食べたものそのものである」というヨーロッパの格言にあるように食べ物は天の恵みであり私達の命そのものです。その土台とも言うべき地球の財産である種子がそんなことでいいのでしょうか。
田んぼをトラクターで耕しながら研究会での話を思いだし、地方の衰退、種子のゆくえがどうなるのか危惧が深まった時間でした。
おかげさま農場・高柳功