(産地の声)vol.1346 2018.5.30
「自然を離れると人間らしくなくなる」、とは恩師に教えられたことです。教えられた当時はその意味するところを良く理解できなかったのですが、年を重ねていくらか解るようになってきたように思います。
人は、水、空気、食べ物、大地がなければ命が途絶えます。都市化が進み都市文化が拡大していますが、いのちの元は全て大地自然からいただくもので、都市はゴミを出し消費するだけです。
どこから供給されているかといえば農村や漁村、山村であり、いわば地方と呼ばれる大自然の生態系、循環する生態系のおかげです。そういうことを蔑ろにして、或いは失念して人間社会の未来はあるのでしょうか。
田植えが始まって早一ヶ月が経ちます。稲もすっかり根付いて天に向かって葉を立てています。その葉をそよそよと風がなびかせています。水と稲そして背後の山々は美しい。5月の田んぼの中にいると心がなごみます。
一方、稲もすくすくと育ち分けつが始まり稲株が太り始めていますが、雑草も同時に繁茂し始めています。連れ合いに、「もう畔刈を始めないと!」と言われ、畔刈り機と刈り払い機で雑草退治に精を出しています。
草だらけの畔がきれいになると、田んぼがよみがえったみたいで気持ちがいいのです。人間であれば床屋に行き、ヒゲ面をカミソリで剃った後のようにさっぱりした感があります。
田んぼ仕事に追われてキュウリ、トマトのハウスを娘達に任せっきりにしていたら、キュウリもトマトもアブラムシが大量発生してしまいました。農薬は御法度にしていますのでどうしたものか、困っています。
連れ合いは、そのハウスに入って「手でアブラムシ退治をしているのよ!」という。「そんなことで退治できるか」と私はいうのですが、「でもやらないよりはいいでしょ!」
無農薬栽培で一番大変なことは、一に雑草退治、二に害虫対策です。最終的には運を天に任せるしかありません。
農業体験に来ている娘さんに「お父さん!葉が真っ黒になって(アブラムシのため)しまっているよ!」と訴えられているのですが、これも自然のなせる技なのだ、などと開き直っているのですが、心の内では心配です。
何を書こうとしていたのでしょうか。分からなくなりました。
おかげさま農場・高柳功