(産地の声)vol.1358 先祖供養のお盆です 2018.8.15
毎回ですが、猛暑が続いています。
暑さの中でも、お盆は年中行事なのでこれまで通り盆棚を飾ります。棚を作り、山に行って新竹を切ってきます。そして上部に荒縄をまわし、それにお飾りをします。里芋の枝つきの葉っぱを下げます。
それが終わったら、お墓に行って迎え火を焚いて先祖を迎えます(13日の晩)。提灯に火をともし、お墓の入り口で藁を燃やし線香をともして家に案内するのです。そして、キュウリやウリ、カボチャやスイカなどをお供えし、お膳を用意して最後に線香をともします。
一方、今年の関係する新盆は十軒ほどありました。そのうち三軒が同級生です。ガンや脳梗塞などで亡くなりました。新盆見舞いに行くと、旧知の人と会います。亡くなった人が生きている人に出会わせてくれます。
お葬式もそうですが、お葬式というのは亡くなった人が生きている人のご縁を作ってくれると言うことなのです。と言われた無着先生の話が妙に納得してしまう場です。
村内のお坊さんが言うには、「先祖というけれど、10代迄さかのぼると二千人を越える先祖が関係するのだ」と言うけれど私も計算したら、10代続くと確かに二千人以上になります。誰でも父母は二人います。その父母の両親となるとは四人となり、その四人の父母は八人になります。2.4.8.16.32.・・・・・という風に。
我が家の記録された最も古い戒名は元禄時代の1690年です。およそ25年で代替わりするとなると4千人を超えます。先祖供養とはよく言ったものです。
少なくとも私の代迄でも伝統的儀式は続けていくつもりです。良くわからないこともありますが、続けているとそれなりに意味があってのことなのだと言うことがわかってきます。こればかりは年を重ねたからこそなのでしょう。
成仏するために食べる。その食べ物を食べるだけの資格があるのか、と問いながら自分を振り返ることが出来るようになるのです。競争や、比べることではなく自分自身の内側=心の安寧のための行いです。
今日は遠くにいる孫達が来てお参りし、夜遅く提灯を下げて送り火を焚いて送りました。今ある命に感謝しつつ合掌です。
おかげさま農場・高柳功