(産地の声)vol.1358 2018.8.22
一時、暑さが遠のき秋の季節になるのかと思ったら、再び猛暑の復活です。ちょっと仕事をしただけで汗が流れます。
私たちの仕事は、屋根の下ではなく、かんかん照りの野良です。ナスやモロヘイヤ、空心菜の収穫です。熱中症などと恐れていたら仕事になりません。
おかげで汗だくの中で仕事をしているせいか新陳代謝も活発で、たぶん抵抗力も忍耐力もついているのではないか、と開き直っています。
家の中もクーラはないので、そこいら中開け放って通風を良くし、扇風機で涼んでいます。昔ながらのつくりなので全部引き戸で網戸にすれば、風が通るのです。昔つくりはよく考えられたつくりなのだと思ったりします。
近年の家のつくりは、各部屋が仕切られ、開閉はドアが多い。ドアは、開け放つと邪魔になります、そして風の通りが良くありません。よって、クーラがないと通気が良くないのでいられない、ということになるのでしょう。
良寛和尚だか「地震の時は地震に遭うがよろしい」とか言ったそうですが、それをもじって言えば「暑いときは暑さにあえばよろしい」ということになるんだろうな、などと思ったりします。
話変わって、私には孫が八人います。そのうち一人が大学受験、もう一人が高校受験で塾に通い始めました。本人は塾に行きたくない、といってましたが親が熱心なのです。
塾通いの子ども達を思うとかわいそうな気がして仕方ありません。子どもの時から偏差値という競争をしなければならない時代というものに疑問を感じます。
「すべての子どもを健康で、賢く育てる」という目標に異を唱える人はいないでしょうが、親としてはすぐさま我が子に当てはめて、学校で良い成績をとる子どもに、となりがちです。しかし、それは「すべての子ども」と矛盾します。
調べたら、日本中の高校や大学は偏差値という数値がつけられているんですね。びっくりしました。日本中一人残らずといっていいほど子ども達が競争していることになります。
同じ時代に生きる人達が協力して生きる道ではなく、争って正規組と非正規組に分断される世の中を誰が作ったのでしょう。競争しているのは子ども達ですがその仕組みを作ったのは大人達です。いい加減やめようよ!と叫びたい心境です。
おかげさま農場・高柳功