(産地の声)vol.1436 2020.3.18
コロナウイルス騒動が中々収まりません。いつ収束するのでしょう。
私は、グローバル化ということにずっと違和感を持ってきました。その価値観でなければいけないような風潮できましたが、世界中全て同じ基準であるいは同じ土俵でしか見ないというのはおかしいと思ってきました。
世界中で農業が営まれてきましたが、実に多彩です。
日本食が世界遺産になりましたが、それは数千年という年月をかけて種を育て、知恵と工夫の積み重ねと、日本ならでの気候風土と折り合いを付けての独特の食文化を育んだからでしょう。
世界中どこの国でもマックとフライドチキン、そしてコーラを飲む姿は異様ではないか。そのお肉も効率主義で作られ本来の肉の味と言うより味付け技術のおかげで日本で食べてもアメリカで食べても全く味が同じなどというのも不自然きわまりない、と思ってしまう私の方が異常なのでしょうか。
農の世界も横並びで(効率主義の)価格競争になっています。日本の農業の平均的耕作面積2.3haとアメリカの農業300ha~1,000ha、一桁ではなく二桁の規模の違いがあります。又、アジアアフリカの人件費は20分の一、10分の一となっている中で競争、価格だけの比較には無理があります。(10数年前のことですが)その違いを考慮せずに値段だけで優劣をつける社会になっています。
そして、既にこの国の農産物の輸入量は4.5千万トンに達しています。それに混じって害虫も病気も雑草も入り込んでいます。都市の皆さんは目にしないでしょうが、ここ50年で日本にはいなかった種が大量に入り込んでいます。
また外来動物が野に放たれ、ハクビシンやイノブタなど大きな被害がでています。それらに加え鹿や猿、イノシシ、この千葉県ではキョンが房総地区で暴れ回っています。河川の魚類も外来種に占拠されつつあります。
コロナウイルスも見方を変えれば単なる伝染と言うより、グローバル化ということの結果とみることも出来るのではないか、と思うのです。前世紀であれば地方の風土病で済んだかも知れない、というコメントもありました。グローバル化のおかげ?でマスクがない、家具が揃わない、というのは何としたことでしょう。
競争、効率ではなく各地域、各国でできることをやり、足らないもの、そこでしか出来ないものは貿易で、という形にはならないものでしょうか。そうすることが、多彩な地域文化の形成と人類も繁栄の道ではないか、と思うのです。
おかげさま農場・高柳功