人間の所行

(産地の声)vol.1442                     2020.4.29

 コロナ対策で外出自粛(あるいは禁止)などの措置によって人間活動が縮小され、車の排気ガス、工業活動による大気汚染によってマスクをかけなければならないほどだったのに、人間活動縮小のおかげでインドではヒマラヤは見えるようになったし、北京の空は太陽が拝めるようになりました。

 

 人間活動がいかに地球を汚染をしているかの証明です。皮肉なことにコロナ禍が人間の所行を明らかにしているようです。

 ウイルス問題は、私の場合、福岡伸一ハカセの「生物と無生物の間」という書によっていくらか知見を得たのですが、ヒトは人類誕生以来ウイルスと共存し、拮抗しながら生きてきたようです。

 ですから私達の体にはそれに対応(対抗)し、生き抜く機能を持ってきたようです。それを持たない個体は、淘汰という形で消滅し、抗体を持てる個体だけが生き残ってきました。その子孫が私達です。体をめぐる血液=赤血球は栄養と酸素を体細胞に届け、一方白血球は体内に侵入した生命を犯す敵を撃退する機能を備えています。

 その機能が存分に発揮できる生命力を持っているかどうかが分かれ目です。私達の体は、欧州のことわざで言えば「汝とは食べたものそのものである」し、生物学的には、「私達の体は地球の成分でできている」・・・です。

 ここ数十年の間に科学が発達し、テクノロジーが進み便利、快適な生活へと進化しましたが、一方でその負の部分が一気に増大するという現象が進みました。簡単に言えば、生命が30億年前に誕生し、気の遠くなるような時間を経て人間が誕生したわけですが、その人間は化学物質や、重金属など不自然な、生き物を阻害する物質を作り出してしまった(大地汚染、大気汚染、温暖化、海洋汚染etcその結果が今です。

 食という面から見れば、ここ50年位前から化学物質(農薬や化学調味料など)を多種多様に食べてしまっています。生命に欠かせない水も空気も汚染された不自然な人造環境に懸念を抱きます

 テクノロジーの発達で私達のくらしは良くなったけれど、そのテクノロジーとその産物が人間の生存環境に刃を向けてきた時代ではないのか。何度も書きますがグローバル化の弊害の一つがコロナウイルスという現象として表れていると言えるのではないだろうか、なんてことを考えるこの頃です。

                       おかげさま農場・高柳功