(産地の声)vol.1455 2020.7.29
いつ梅雨が明けるのか見通しのつかない天候が続いています。それどころか昨年に続き九州から始まり、東北地方では豪雨の連続で堤防が決壊し、家屋が浸水、土砂崩れが発生するという異常天候の災難に見舞われています。
私は農家ですから、家々のことも気がかりですが、田んぼは大丈夫か、畑はどうか、と気になってTV画面を見入ります。
今日の最上川の映像を見ていた連れ合いが「田んぼはどうなっているの?」と。田どころである山形県を思い出したのでしょう、見ていたらアナウンサーが家屋浸水のことを報じていましたが、拡大画面になって田んぼが見え「ほらほら見てあれが田んぼよ、もう水につかってしまった田んぼはだめね!」と。
一面の泥水で覆われた田んぼはほぼ全滅のようすです。一部高台と思われるところは稲の緑が見えましたが、果たして実りになることを祈らずにはおれません。
7月に入って九州地方の大洪水の際、滅多に取り上げられない農業災害についてアナウンサーが、「農家も大変です」と報じていましたが、農業を語る際それは農家の問題としてしまうこの国の意識の変化を感じます。
もう数十年前になりますが最初にフランスに行った時のことを思い出します。訪問した際、一番に紹介されたことは「我が国は農業国です。欧州圏では最も自給率の高い国です」と誇りを持って紹介してくれたのです。
その後、何度かフランスに訪れましたが、わかってきたことは農業に対する国民的反応の大きな違いです。日本という国は農業問題は農家の問題として閉じ込めた空間としてしか意識形成されていないな、と言うことです。
一方、フランスの農に対する国民的反応は、今回のような災害があれば「大変だ。俺たちの食べ物はどうなるんだ!」と自分の問題としてとらえるのです。
同じ地球に住む人間としてこの意識の違いは何だろう?と思うのです。天の恵みに感謝して食事をいただくこと、そしてそれが我が命を守っていることを心の底に持っているように思えたのですが、考えすぎでしょうか。
日本人も半世紀前まではそういう想いであったと思うのですが、いつのまにか農業がビジネスで語られ、食への感謝を忘れグルメ指向になってしまったのでしょうか。私の頭の中も何を語っているのか、カオス状態のようです。
おかげさま農場・高柳功