(産地の声)vol.1461 2020.9.9
5年ほど前になりますが、デザイナーの三宅一生さんのミッドタウン内でミュージアムでコメ展が2月から5月まで開催されました。知り合いのフミエさんという娘さんから話があり協力してくれませんか?ということでした。
取りあえず、どういうことかわからないのでスタッフの方と銀座の佐藤卓さんの事務所で打ち合わせがあり、このままでは日本の文化が無くなりそう、消えてしまう時勢だ。今のうちに記録しておかないと、と言うことでした。
私も日頃、日本の伝統や文化がないがしろにされている想いがあったので、即協力を申し出ました。と言っても私の方は毎年続いている仕事をするだけです。
種まきから田植え、途中の田の草取り、そして稲刈りとスタッフの皆さんが積極的に参加し続けました。曰く、「体験しないとわかりませんから」そうして映像作家が折々に通って撮り続け、種まきから稲刈りそしてお米になるまでの一年間のおつきあいでした。
古事記にあるように日本は瑞穂の実る豊かな国であったはずなのに現状はどうでしょう?。日本人の心と器用さ、そして共生の精神を培ってきたと京大の祖田先生は言っていたと記憶するのですが、日本人はそのルーツを忘れてしまったかのようです。
そんなことを思い出しながら稲刈りをしていました。周りは刈り取りが終わり私の田んぼだけが残っている中を、ツバメが舞います。コンバインが轟音を立てて稲を刈る中で田に潜んでいた虫たちが飛び出します。
それを狙ってツバメがスイスイと虫取りをしています。そのあとはシラサギが出てきたカエルやバッタをついばんで、中々賑やかです。
どういうわけか今年はイナゴの発生が多く草むらを歩くと大量に飛び出し、捕らえて佃煮にしてしまおうか、と思うのですが家族は知らんぷり!。
と言うことで、今は稲刈りの真っ最中です。
当地の稲作はおよそ1千年以上前、川辺の谷津周辺から始まったようです。人々が集まり水の便と食べ物が命の源泉であることを承知して住み続け、作り続けてきた歴史を思います。感慨深いものがあるのですが、農業者の激減と後継者不足がムラの存続を危うくしています。同時に、日本人は食べ物=生存基盤の心配をしなくていいのだろうか、などと考えてしまいます。
おかげさま農場・高柳功