稲刈りが始まった

(産地の声)vol.1556 一農家のつぶやき。         2022.8.10

 稲が色づき始めたと思ったら、ムラの一部では稲刈りが始まった。

 

 早い人は2月に種まきが始まり、植え付けも早くなったこともあろうが、この天気。猛暑で生育が進んだせいもあると思う。

 4、50年前は4月に入っての種まきが大方だった。それからすると2ヶ月近く早い稲つくりである。稲にも旬があり5月上旬がこの地方での時だと思っていたのだが我が家もだんだん早くなって来ている。

 それというのも用水が共同事業であり、ある程度季節を合わせないと水のやりくりが不都合になるからだ。多分この天気だとムラの大方は今月中に稲刈りが終わりそうだ。猛暑の中を、日に照らされながらの畝刈で汗だくの毎日だ。

 コロナも当農場の会員農家で何人かが感染した。ワクチンを打っても打たなくてもなるときはなる。一旦高熱を出してしまえば、養生しつつ立ち直る。自らのワクチンが体内でできたことになる。直った人には「ワクチンができてよかったね」と慰労しているが、結構乗り切っているようで、一安心している。

 私はワクチンを打たない。家族もそうだ。大丈夫と言うより人類が誕生して以来、細菌やウイルスと長い間共存してきたと考えるからだ。

 だから、心境的には昔のお坊さん(誰だったか忘れたが)が”地震があるときは地震に遭うがよろし”と言ったそうだが、ウイルスも同様ではないか、と思うからだ。

 大自然の中で生き抜いてきた人という種は、それなりの抵抗力と免疫力を持っている。だから生き延びてきた。体内で自己と非自己を区別し、非自己を体内にある免疫細胞が捉えて分解あるいは消滅をさせる。そういう機能の因子を数万持っているという。

 だからといって、万能ではない。食を始めとして養生を心がけ、熱が出たらでたで、それなりの対症療法をしなければならないことになるだろう。だがやはりmRNAというワクチンはちょっと不自然なものだと思ってしまうので、ワクチンをする気になれない。

 そう考えるのは変わり者であり少数派だということを自認しているつもりだが、mRNAというのが将来禍根を残さなければいいのだが、と思うのだがどうだろう。

 

 

                       おかげさま農場・高柳功