(産地の声)vol.1557 一農家のつぶやき。 2022.8.17
8月もお盆が過ぎていっそう稲田が黄金色に変わりつつあるようだ。
お盆月という8月は、始めに旦那寺でお施餓鬼供養から始まる。毎年5日が檀家がお寺に参集する日で、お布施を持ち、帰りにはこの日、先祖供養した卒塔婆を持ち帰る。私は役員で受付や接待の役目。
各家の代表者の名前に入った卒塔婆は各家のお墓に供えられる。卒塔婆は上部が5段に刻みが入れてある。住職にこの意味は?と問うたら、これはお寺で言えば五重塔と同じと考えていい。意味は下から地、水、空、風、火を表しているという。
人間の命は、大地、水、空気、風、太陽の5因子で支えられている。人知を超えた存在があって生かされている。どれ一つとっても生命は存在できない。それは真理であり、法(ダルマ)とも言う。などと教えられた。
お盆は盂蘭盆と言って、先祖供養の日でお墓に行き迎え火という儀式をして提灯を掲げ家に迎える。そのお盆のために盆棚を作り、キュウリやカボチャ、ナス、スイカなど供え食事も用意する。
その棚を作る際、竹を用意して飾り付けをするのだが、真竹でないといけない。それもなるべくまっすぐな太くもなく細くもない竹を探して山に入る。竹山は、ヤブ蚊が多い。竹を切り、枝を落とし長さを整える。
連れ合いとノコギリとナタで4本の竹をとる。その山の木を切り倒し25年前に家を新築したのだが、残った杉の木が結構成長しているのに感心する。同時に、先祖は百年二百年先を考えてきたんだな、と言う話になった。
木を植えるという行為は自分の生きている時代に使うものではない。子孫のために植えるものだ。それがあったから木を切り、家を建てることができた。
今はどうだ。自分のことで精一杯。孫子の代のことを考えて木を植えるという考えそのものが無くなってきているな。俺たちはどうだったろう?先祖に感謝し、今の命あることに感謝し、と言うことを忘れない生き方をしてきただろうか?。そんな話をしながらの盆竹切りだった。
又、住職の話だが、10代溯れば千人超の先祖がいるんですよ。先祖があってこそ今のあなたの命があるんですよ、とも。住むためにも食は命の為も全て大地自然があってこそ、その逆は無い。今年のお盆は叔父や叔母の新盆見舞いが多かった。あらためて全ての縁ある人を大事にしなきゃ、と思うお盆だった。合掌
おかげさま農場・高柳功