(産地の声)vol.1560 一農家のつぶやき。 2022.9.7
今朝のTVで野菜がお安く買えるようになってきたとの特集をやっていた。これまでもずっと感じてきたことだが、なぜTVでは消費者の側からの取り上げ方ばかりが多いのだろう、と言うこと。
野菜は安くて当たり前だと言わんばかりの声のように聞こえる。(ひがんでいるかもしれない)その裏側の生産者がどうなのかはあまり報道されない。私は、常に生産者の側からものを見るので、タマネギが高いと言うことは、タマネギ農家が悲惨な状況なのだろうな、廃業せざるを得ない農家が出ないでほしいな、などと思いを巡らす。
野菜やお米など農家が激減する理由は、採算がとれない、或いは生活できなくなるからやめてゆくのであって、食の大切さがどうでもいいなどとは思っていない。輸出産業として利益追求型の農業者もまれにはいるが、多くはそうでない。
その結果が激減する農家、そして自給率3割というこの国の食糧事情となっている。円が1ドル144円と高騰している。輸入物は1ドル110円からすれば3割の値上がりになる。グローバル化、安かろ良かろは品物は見ているけど、それに携わる人は見ていない。
農以外でも企業努力として価格高騰を押さえようとすると、そこに働く人々にその負担がゆく。結果、20年という長きにわたって日本人の収入が伸びないで来た原因だろう。さらにこの円安で追い打ちをかけるように、その負の部分が現場を持つ人々にかかるではないのか。心配になる。
自動車の購入に80万円も補助があるという。そんなお金があるなら生きるに欠かせない食の安定、安心のために使うのが喫緊の課題だと思うがどうだろう。
お米がなければパンを食べればいい、などという話を聞くと、あのフランス革命のマリーアントワネットのパンがなければケーキを食べればいいんじゃない、と言ったエピソードを想い出す。
人間一人が一日生きるのにざっと2千キロカロリーが必要と言うけれど、お米の方がずっと安い。円安が収まらず続くとすれば、食費は3割4割と上がってゆくことを覚悟しなければならないだろう。
などと思いながら籾すり作業をしていた。昨日が稲刈り初日で乾燥が済んだ籾をお米にした。作業最中お客さんがきて、玄米がほしいとのこと。食べ物は一日たりともなくてはならないものだと言うことだった。
おかげさま農場・高柳功