(産地の声)vol.1588 一農家のつぶやき。 2023.3.29
田んぼを耕耘しながらお米の歴史を考える。
人間がお米が栽培するようになっておよそ9千年になるという。その最初は野生種だった。(お米に限らず栽培されている野菜から花卉類、樹木も元は全て野生種)
最初はほとんどが実ったら落ちてしまうものだった。種は大地に落ちて再び芽を出すのだからそれが自然だったのだろう。それが、種の落ちない種類が出現した。落ちてしまうものは拾って食べようとするには難しい。中国の雲南省あたりで収穫と栽培が始まり、その種が広まって東南アジアを中心にお米つくりが盛んになってゆく。
日本の歴史区分として縄文時代から弥生時代という流れになるのだが、要するに栽培ということが始まり、食料を自ら作り出す時代へと進化した。
農耕文化の始まりである。それまでの石器時代、縄文時代は、どちらかというと狩猟採取生活だったのが、自前で食を得ることができる時代へとなったということか。日本へは6千年という時間をかけて大陸から伝わったことになる。そして古事記にあるようにお米=瑞穂の国 と呼ばれるように豊かな国つくりができるようになった。生活も安定し、かつ人口も増えていった。
いろいろな説があるようだが一万年前は20~30万人くらいだったのが、2千年前頃は300万から5百万人くらい、千年後の平安時代には千万人くらい、江戸後期で3千万人の人口を擁する程になった。
生態学者さんに言わせると、全ての生き物の個体数は食べ物によって規定される、という。それだけ食糧確保が進んだということになる。
そして、現在は1億2千万人が住む国となっている。野菜等も貴重な食だが、かっては一人一日2千キロカロリーの食が必要とされていた。かける人数がその国の必要食料となる。我が国の自給率38%と言うが、ほとんどの日本人は全く心配していないようだが、大丈夫なのか。心配だ。
トコトコとトラクターを運転し、ここの田んぼは千年以上前から開墾し、田を作り続けた所かと思うと妙に感慨深く思うのだが、田んぼに人はいなくなった。
孫子の代まで考える生き方をする。そういう仕事を大事にする、などと考えてきたが、果たしてそれが正解であったのか、考えてしまう農村の現状なのだが、これでいいのだろうか。先進国の中で食糧危機の最も危機的な国は日本だ、と言う週刊誌の記事を興味深く読んだのだが、皆さんはどうなのだろう。
おかげさま農場・高柳功