(産地の声)vol.1601 一農家のつぶやき。 2023.6.28
菜種を刈り取り、10日ほどおいて枯れ上がったところで脱穀となる。そして、菜種畑には脱穀の終わった菜種の木が束になってあちこちに散在する。雑草もあちこち芽を出してきたので何とか始末しないとトラクターをかけられない。なので散在する菜種の残渣を火をつけて燃し始めた。それでようやくトラクターでかき回すことができるのだ。
タイミングもあって風が強いと火が飛んではいけないので穏やかな時を選んで燃すことになる。晴れも続き風もそれほどではないと思ったので燃し始めた。そうしたら風が出てきて、乾燥がいまいちなのか煙も結構でてしまった。
危険はなさそうなので燃し続け九割方燃え終えたところで、何やら数人の人が。消防署の皆さんだった。煙が出て通報があったのできた、という。続いてパトカーがおいでになった。
毎年気をつけて燃しているのだが、致し方ない。消防署にしても警察にしても通報があれば来ないわけにはいかないだろう。危険はないようにしていること、こうして片付けないと畑の始末ができないことなど語ったのだが、最後は始末書を書かせてもらうという始末になった。
その畑も昨日トラクターをかけてきれいにした。
当家の農地は東京ドームの1.5倍くらいが管理面積になる。農業での仕事の半分は除草になる。特に無農薬栽培で除草剤を一切使わないので、その草の始末は結構な嵩になる。田んぼも枯れ草の冬には畦草を燃して始末するのが一番なのだが、難しい時代になったものだ。
人から人間になった始まりは、道具の使用と火を使うことからだった、と教えられたが、今は火を燃してはだめ、道具の刃物もだめという時代になった。我々の育った時代は、肥後守と呼ばれる刃物一丁で、竹とんぼや鳥かごなど遊び道具は自分で作ったもんだ。
マッチなども持ち歩いていた。中止しろよ!と言われながらも大人が大目に見ていたような気がする。怪我をしたり火傷をしたりしたが、そういう中で危ないことや傷つければ痛いこと、火の扱いを体で学んだように思う。それでも「誰でもいいから人を殺してみたかった」などという人はいなかった。
極端かも知れないが、火の怖さ、刃物の便利さと危険なことを子供時代に体験させることは大事なのではないか、そんなこと考えた日だった。
byおかげさま農場・高柳功