暑さの中の草刈り

(産地の声)vol.1607 一農家のつぶやき。         2023.8.9

 暑い!暑いけれど草刈りの日々が続いている。世間では、熱中症に気をつけて、というが、そんなことを言っていられない。田んぼの稲の生育以上に草勢が強い。

 

 今刈り取らなければ、穂が出ているのでやがて稲穂が畦まで垂れるようになって、刈れなくなってしまうのだ。田畑は野外なので、太陽が照りつける現場は、おそらく40度以上はしているのではないか。

 そんな中で刈り払い機を使っての草退治をしている。30分もすると全身汗だくになって下着から上着までびしょびしょになる。家に帰ったらシャワーを浴びて全身着替える。熱中症などになっていられないのだ。 

   我ながらよく体が持っているなあ、と思う。

 そんな仕事をしながら昔教えられたことを想い出す。「生存基盤言論」という講座があった。記憶が確かではないが、都市と農村ということの違い、そしてその意味するところなど。

 「命」と言う視点から考えると。命の基盤である、空気、水、食べ物の供給地は農山漁村だ。健全な都市は、健全な農山漁村があってこそ命が守られる。要するに自然の豊かさが、農村であれ都市であれ、人類存命の基盤である、ということだ。

 雑草の始末は大変だけれど、見方を変えれば自然の豊かさではないか。砂漠のように草も生えないよりはまだましではないか、などと思ったりする。

 とはいえ、最近の多くの農家は除草剤を散布して面倒な草刈りをしなくなっている。どんどん農家が減っているので、一部の農家に農地が集積され、仕事が間に合わなくなってきていることもある。

 今の米農家は追い詰められている。従兄弟も農家で田んぼをつくっているが、彼が言うには、「米つくりはボランティアだ。とても採算の合う仕事ではない」という。 従兄弟と私が、やめた農家の分を引き受けてムラの半分以上の田んぼをやっているのだが、ムラの人たちは「二人ができなくなったら、ムラの田んぼはどうなってしまうのだろう」などと語っている。

 こういう状況は全国的だ。たぶん、美しい農村という姿はなくなってしまうのでは、と危機感がある。景観ばかりではなく、日本人は何を食べて生きていくつもりなのだろうか、などという話になってしまう。農をおろそかにしてきたつけがいずれ回ってくるような気がしてならない。AIだのマイナンバーカードだの、そんなこと言ってる場合か、と思う。暑さのせいかな。

                       おかげさま農場・高柳功