食べ物を作ること

(産地の声)vol.1630 一農家のつぶやき。           2024.1.17

 私は、農業をする第一義は家族とそれに続く子孫の生活を守る為だと考えてきた。命と自然環境は守るものだと思うから。時代は変な風に変わって、自由だとか好きなことをすることが生き方であるかのように変わってきたが、自分としてはしっくりとしない感があり、今もそうした社会風潮に違和感がある。

 

 そうだろうか、と思うのだ。自分の食べるものは自分で作る。この半世紀でこの国は大きく変わった。いろいろあるが、農と食の世界から見ると日本人は日本人でなくなってアメリカ人になってしまったのではないかと思うほどだ。

 米の消費量より小麦の消費量が上回り、味噌汁より牛乳に、お茶よりコーヒーにと日本人の食生態は大きく変わった。また質の変化で言うと、日本食と言われるソバのほとんどは輸入品に取って代わり、ゴマなどは99%輸入だし、たくあん大根にしても9割は輸入品なのだ。日本食というが、食材と言う中身は外国製に頼るようになってしまった。それでいいのか、と思うのだ。

 そんな訳で、我が家は自給を心がけている。日本人のタンパク摂取は主に大豆や小豆などの豆類から得ていたという。味噌も醤油も造るようにしたいが、その原料は大豆だ。その大豆は豊作だった。

 7月の下旬に種まきをする。その理由は、大豆というのは虫がつきやすい。カメムシという虫は豆類が大好きなのだ。昔、4月に大豆を蒔いたらびっしりとそのカメムシにたかられて閉口したことがあった。根元から枝先まで虫が連続して茎が見えなくなるほどなのだ。知り合いの有機農家に教えてもらったことは、7月中旬以降に種を蒔くことだと言う。虫の繁殖時期を避けるという栽培である。

 ところがである。今作の場合、猛暑の中を種まきして、芽が出始めて安心してたら今度はハトの群れが来て、芽がでたばかりの大豆をつまみ始めたではないか。くちばしでツイと芽を引いて大豆を食べられてしまった。

 空からの襲撃には手が出なかったが、何とか生き残った大豆を見守って12月上旬刈り取り脱穀したのだった。雑穀類は、収穫後に手間がかかる。ゴミを除き整粒にする手間が大変なのだ。先日残りの殻混じりの大豆を連れ合いと、篩いをかけ、唐箕をかけたが、最後は手選別で整粒に仕上げることになる。

 と言うことで我が家のタンパク源は確保した。医食同源、身土不二の生き方でもある。自分の食べるもの、納得できる食べ物を皆さんにも、と言う考えでおかげさま農場を立ち上げたのだった。

                     おかげさま農場・高柳功