(産地の声)vol.1644 一老農のつぶやき 2024.4.24
ようやく代掻きを始められるようになった。今日は雨模様でどうしようかと思ったが、小雨のようなのでドライブハローと呼ぶ代掻き車輪を取り付け田んぼへと向かった。
だが、予定していた田んぼは水不足で仕事にならないことが分かって、急遽、水のある田んぼに変更する。当農場の田んぼは50数枚に及ぶので、どこかしらは水が足りている田んぼがあるので移動して始めた。
田んぼは池を作る要領と言える。周囲に堤防を築きその中に水を入れ、草や泥をかき回して田面を水平にする作業となる。通常農家は1反部単位で語るが、3センチの水深で水量が30トンになる。10センチだと100トンの水を湛水することになる。水田は小さなダムと言われるゆえんだ。
水の加減を見つつ高低をなくして均してゆく。雑草と泥の混在した田んぼがきれいになり、終えたあとは水面が鏡のようになって対岸を写す。この姿はいつ見てもいい。ムラの田んぼは半分以上植え付けが終わり鏡の中に苗がそよぎ緑がかっている。
ムラの田んぼには従兄弟のトラクターと自分のトラクターしか動いていない。かって27軒の稲作農家があったが、今は5軒となり、我が家と従兄弟だけがやめた人たちの分を耕している。
環境保全会と言う団体をつくりムラの有志を集めて川や排水路の整備をしているが、そこで話されていることは、我が家と従兄弟ができなくなったら(稲作が)どうなるのか。荒れ地になってしまうのではないか、と言ったこと。
こうした現状はここだけでなく日本中の問題だ。千年続いた食の確保、瑞穂の国の将来が見えない。新たな農業基本法が成立したと言うが、まったく農政は当てにならない。そういう感想を持っている。実感なのだ。
有機農業を25%にするという目標は評価できるが、誰が担うのか。また今までの化学農薬の代わりにRNA農薬を使うとか、ゲノム編集で病害虫に強い品種を作るとかの具体策には賛成できない。AIやドローン、ロボットを使うとかどれをとっても自然の摂理に習うのではなく、制圧しようとする発想が強い。人間の側の傲慢な思想ではないか、と思う。自然の恵みがあってこその命なのに、と思う。
かっての日本人には自然に対する畏敬の念と感謝があった。空気も水も種も緑も人間が作ったものではない。養老先生ではないが、そこが分かっていない。 byおかげさま農場・高柳功