食と自然と人間と

(産地の声)vol.1652 一老農のつぶやき           2024.6.19

 かって人類は、森が住みかだったという。食べ物を探して木の実や山菜そして小動物などを捕らえて命をつないでいたらしい。野菜の先祖は山菜ではないか。森の山菜を人が選別し、種を蒔くことを憶え作り続けてきた。自然にある食べられるものを探して人は命をつないできた。

 

 今のように米や野菜、果物、そして牛さんや豚さんニワトリさんの肉などありとあらゆる食べ物がいつでも食べられる時代になったのは、人の歴史からすればごく最近ことだ。

 今の日本社会は、食べ物の心配をしていないように見える。今の若い人たちは、スーパーに行けばある。お金を出せば買えばいい、と言った程度の考えが多いようだ。終戦後1970年代頃までは食べ物の不足が当たり前であったことを知らない世代が国民の大半になった。

 だからだろうが、食べ物の供給地である農村の現状に関心を持たない社会になってしまった。命=食べ物は、自然の恵みによるしかないことも分からなくなってしまったようだ。自然に対し畏敬の念を持たない人は信頼しないことにしている。その現状を見ると、私など危機感を感ずる。世界人口が増え、ウクライナや中東で戦争が続き、環境問題が増大するなど、世界が不安定要因が増大する中、これからの日本人は何に頼って食を得ようとしているのか。

 農地は荒れ、耕作者が減少の一途をたどっているのに有効な手立てを打てないこの国。25年自給率の向上を掲げた政策は、まったく効果なく新農業基本法が制定された。またスローガンで終わってしまうような気がする。

 そんな中、この成田市でようやくというか、有機農業推進協議会(仮称)が発足した。市内には、無農薬有機栽培のグループが5つある。それらの人と語り合って、市農政課も、国の25%を有機圃場に!と言う目標もあって 取り組むことになった。

 何故有機農業なのか。かって韓国の自然農業の先達だったチョウさんが語ったことだが、「なぜなら近代農業で農薬や化学肥料使用の農業に変わってしまったからだ」と言う見方に私は頷いてしまった。

 単純に、人間も自然だ。自然に生きる生き物として、自然の力で育ったものを食べることが自然だ。ずっと以前、乳牛を飼っていた。乳牛は妊娠して子を産まないと牛乳がでない。ある時どうやっても妊娠しなくなった時の獣医さんの進言は「自然に戻せばいいんだよ」と。

 濃厚飼料という餌をやめ、広い畑に出して運動をさせた。そうして3ヶ月ほどで体調が戻り、無事妊娠することができた。自然と人間の関係を大事にしていきたいものだ。     おかげさま農場・高柳功