お米が高いと言うけれど

(産地の声)vol.1661 一老農のつぶやき           2024.8.21

 お米がないという報道が続いている。スーパーにお米がなくなっているというのだが。なのにこの国の農林大臣は、お米は不足していないという。

 

 とんちんかんな対応ではないか。現実に仕入れできないでいる現状を見ていないのかしら。報道によれば、お米の仕入れが滞り、しかも値段の高騰が家計に響く。おにぎり屋さんも値段を上げなければならないと嘆いている。

 国や政治家と国民の現状認識の乖離=市民の事など関心を持っていないのではないか、などと邪推してしまう。この地でも早生稲の刈り取りが始まった。聞くところによれば、収穫は例年並みで価格は4~5割高くなったようだ。新潟大学の先生がコメンテーターで話していたが、以前、県内で調査したところ、時給が350円くらいだったという。誰が今時350円の仕事をしようと思うか?。同じムラで従兄弟が田んぼを作っている。ムラの人は早々と田つくりをやめて、その分が彼の所と私の所に集約されて結構な面積を作っているのだが、「田んぼはボランティアだ!」という。おそらく田んぼの手取りは千葉県の最低時給1000円に満たない。4~5割価格が上がったにしても反応は鈍い。喜ぶまで行かないのだ。これでいくらか息をつけるかな。 或いはこれで機械代の穴埋めくらいはできるかな位の程度だろう。先々週にも書いたが、今の米政策だと飢えを体験するどころか、飢えるのは時間の問題だ、という農家がいたが、現実になりそうにも思う。

 なぜならば、今、稲作を支えているのは、食糧不足を経験した70代の農家が大半を担っている。その人たちはやがておそらく10年以内にいなくなる。(そういう私もそうだが)誰が米を作るのか、と言うことになる。無策の農政続きに後継者はいない。

 養老先生がたびたび言ってることだが、「あなたの未来は田んぼだ」という。我々の身体はお米ももちろん空気も水も身体に取り入れ私たちの命をつないでいる。農業問題は農家の問題ではなく、消費者と呼ぶ皆さんの問題なのだという認識不足の日本の現状が問題だ。未来がなくなるではないか。

 全ては命あってのこと。 大自然の恵みによって私たちは生きている。その業を行うのが農家なのだけれど、この国は農家を貶めて市場に任せてきたつけが、今出てきたと言えるのではないか。10年先はもっと深刻な事態になるのは確実だ。

 ともあれ、おかげさま農場のお客さんにだけは供給できるよう頑張りたい、などと思う。無農薬の田んぼにはヒエがはびこり難儀してるが、娘さんが援農に来てくれた。汗だくのお仕事でした。       おかげさま農場・高柳功