(産地の声)vol.1667 一老農のつぶやき 2024.10.2
令和のお米騒動は、いくらか沈静化してきたように思えるがどうだろう。
先月の29日に農村女性の働き方と題して、学会がありコメンテーターを頼まれ参加した。農村に住み半世紀を過ごしてきた経験を踏まえてその実態を話してほしい、ということだった。一方、9月厚生労働省は、女性の賃金は、男性の7~8割と。都道府県別の男女賃金格差を初めて指数化し公表した。
同時に農業新聞に7月の農業物価指数が発表された。2020年を100としての指数は、肥料は139.1、飼料は142.7。その他運賃や資材の値上がりが同じように値上がりしている。
男女賃金の格差より、職業別賃金格差の方が問題ではないのか、と思うのだが。TVでは安売りスーパーの「お米がない、野菜の値上がりが困る」という話題で持ちきりのようだが、農村では土地が荒れ、後継者が育たないことは、まったくと言っていいほど話題にならない。新潟大学の先生が昨年調査したところでは、稲作農家の時給は300円だったという。
この千葉でも、従兄弟が口にしていたこと「お米つくりは、ボランティアだよ」ということと符合する。今年の秋はお米の値上がりがひどいというが、お米農家は喜んでいるようには見えない。「これでいくらかは息がつけるかな」程度なのだ。
やめたいと考えている稲作農家は多い。農家自身が自分の息子娘には、絶対の農業はやるな、と言っていることをあちこちで聞く。
農家削減政策で農家は激減している。株式会社で大規模稲作をすればいい、などという評論家もいるが、事はそう単純なものではない。今日本の農業を支えている年齢構成を見れば、さらに生産は縮小するだろう。
お米だけではない。野菜だって、畜産だって危機に瀕していて、しかも高齢者によって支えられている。その中心だった経営者がリタイアしたら誰がやるのか。そこまで追い込まれているのに今の日本人には危機感がない。のんきなものだと思う。
農村女性の農業参加が著しく現象の一途をたどっていることの決定的な原因は、食と農の貧困政策につきると思うのだが、そういう話題にはならないようだ。
国を守ると言う国とは何だろう。国と行ってもガバメントの国ではなくではなく、カントリーとしての国を守るという考えはないのだろうか。先人がそこで暮らしてきたように、続くものがそこに安心して住めるような国つくりがほしい、と思うがどうだろうか。 おかげさま農場・高柳功