原発問題の本質

(産地の声)vol.1678 一老農のつぶやき           2024.12.18

 今日の新聞一面に、原子力発電の復活、とデカデカと書かれていた。エネルギー政策の復活と言うことのようだ。福島原発の教訓などどこ吹く風の方針転換に暗澹たる気持ちになる。

 

 福島の事故以来、既に13年が経過したのにもかかわらずその処理が一向に進まないことをこの国の指導者はどう考えているのだろうか。エネルギー需要を満たすため、CO2削減もあって原発の稼働を推進すると言うが、筋違いのように思う。

 デブリの後始末もできないでいる。ようやく数グラム程度しか採取できず、見通しは見えないというのに。人間が触れることのできない放射能が存在する。

 仮に事故が無くとも運転すればプルトニウムを始めとする放射性廃棄物が残ってしまう。2万4千年という長きにわたって人間が触れることのできない、かつ人間が操作できない物質を作り出してしまう責任があるというのになんたることだ。

 現代に生きる我々の欲望のために、数万年後に及ぶ致死物質を残して良いわけがない。私は、CO2の問題というのは問題のすり替えであって、問題なのはエネルギーの使いすぎが根本問題だと思う。

 人新世の時代という認識が出てきたが、人間の行いが地球全体に及ぶ時代になった。しかしながら人間の生存は、人間には操作できないものによって生かされている。大地、空気、水、風、太陽があり、その恵みによって私たち人間の命がある。

 田舎者ながらそれくらいは認識しているが、そうであればこそ大地を汚染せず、水質保全を図り、永続的な農法を求めて無農薬栽培や有機栽培、自然農法などと農に携わる者は試行錯誤し、実践してきた。世間からは変わり者扱いされても、次世代、次に続く者のためにとの思いがある。

 40~50年前の無農薬有機栽培に取り組んだ人たちの思いは、安心安全な食べ物を、と言う思いもあったが、何より今ある地球の大自然=環境保全という目標があった。

 レイチェルカーソンの<核と同じく化学物質というかって地球の存在しなかった物質を作り出し生命を危機に貶める好意はやめた方が良い>同じようなことをインドのガンジーも言っていた記憶がある。

 どこまで貪欲になればいいのだろうか。母なる大地、母なる地球を人間の都合優先の傲慢な態度ではないか。田舎者だが、五十年後百年後のことを思うととても心配になる。皆さんはどうお考えなのだろうか。

                     おかげさま農場・高柳功