(産地の声)vol.1680 一老農のつぶやき 2025.1.8
明けましておめでとうございます。
この産地の声も1680回目となりずいぶん長く続いているものです。我ながらよく続けることができたなあ、などと思います。毎週書き続けて年に約50回、30数年続いていることになります。
その意図するところは、この国の世論が経済成長と共に、自然を忘れ、土を忘れ、自然の恵があってこそ我々人間の命があることが見えなくなってきたこと。そういう危機感というか、実態をいくらかでも知ってほしいとの願いで続けてきたのでした。
個人的に言えば、書くことは苦手であり、好きでなかった。小中学校と一番キライだったのが作文だった。なのでよく続いているな、と思います。
30年前の1994年お正月の産地の声を読み返しました。ざっくり紹介します。
・・・・・年が変わりましたが、寒暖計はマイナス五度を記録し、寒い日が続いています。日中でも温度が上がらず、野菜もほとんど成長せず、じっと寒さに耐えているかのようです。
「土、全ての命はここから始まる。」とは、作家住井すゑさんの言葉です。私たちは土の力で育った物をいただき、命を燃やし、死んで土に帰ります。土や農を否定することは、自らの命を軽視、否定することです。そうしたことを心に留め、今年も頑張りたいと思います。・・・・・
・・・・・こんなことを書いていました。今もその本質は変わっていないと思います。
未だに気候変動のせいもあって、キャベツが500円もするなどと高騰を騒いでいますが、それでもあればいいのでは、などと思うのです。
戦後生まれの我々の世代には食べるものがなかった。食べ物が絶対量的に少なかった。よく話すのですが、今の人たちは何を食べるか?と選ぶ時代なのに対し、選ぶなどという選択肢はなく、我々の育った時代は何が食べられるか、と言う時代だった。
少しは辛抱ということが必要では無いか。日本だけでなく、カカオが不作とか世界中が今試されているような気がするのですが、あるもので何とかやりくりする知恵と工夫で乗り切ろうとしてもいいのではないか、と思うのです。
食べ物は、大地自然からしか得ることができない。未だ開発などとこの成田市でもあちこち山が緑が消滅しているが、それでいいのだろうか。などと考えるお正月でした。 byおかげさま農場・高柳功