誰が食べ物を作るのか?

(産地の声)vol.1682 一老農のつぶやき           2025.1.22

 昔、ばあちゃんが語っていた。正月も小正月が過ぎると田うないが始まったと。(小正月は1月15日のこと。成る木と言ってお餅をつき雑木の小枝を用意して、その枝先に餅を突き刺して餅で花を咲かせる。豊作を願っての行事だった)

 

 (田うないとは、方言で田を耕すこと。昔は機械などなかったので、一鍬一鍬田んぼの土を返した。すべて手仕事だったので、植え付けまでに間に合わせるには、氷が張る頃から田仕事が始まった)成木の行事も今はほとんど見なくなった。

 今日は水はけの悪い田んぼの排水路の泥上げ仕事だったが、バックホーという機械でする。田んぼの土は畑と違い、水分を含んでいるので重い。しかもべたつくので重労働となる。なので、老いもあり今は手仕事ではやれない。

 近年は、田植えが早くなってきたので早めに仕事をするようになってきた。ばあちゃんの時代とは仕事の内容は違ってきているが、同じ季節に田んぼつくりの仕事を始めているんだな、などと思う。(ちなみに、ばあちゃんは明治33年=西暦で1900年生まれで92歳で亡くなった)

 昨日は中学校時代のクラス会の日だった。そこで食べ物の話になり、農村の疲弊は、農産物が安すぎるから。もっと高くならなければならない!と言う話になった。何故、採算がとれない米つくりをやってきたかというと、かって食糧不足を経験していて、食べ物がないことがどんなにつらいことなのか体験していること。

 また、米つくりをしてきたからこそ家族が生きてこられた。その元である先祖伝来の田畑を荒らしてはいけないということを身体で知っている、から続いてきたなど。

 農産物の高騰は気候変動のせいだとか言うけれど、本質的には作る人がいなくなることが一番問題ではないか。今、農の担い手の7割は70歳以上ということからすれば、頑張ってもあと10年でやる人が3分の1になる。それで間に合うか?

 国は機械化、スマート農業だとかAIを使ってとか言うけれど、そんなことで生産力は増えない。農の世界は、土地と人の営みでしか生産物は生まれない。しかも相手は大自然で、人間がコントロールできない要因によって出来不出来が決まるのだ。

 その結果が、今起こっている野菜や米の高騰なのに、である。

 誰が食べ物を作るのか、と言う現実が目の前に迫っているというのに、今の世論はまったく考えが及んでいない。野菜が高いだの値段だけの話題だけの終始しているように思える。

 今年の年賀状の一文に、<願うわけではないけれど、今年は何かが起こりそうな・・・>とあったけれど、意味深な感をもつ正月だった。

                       おかげさま農場・高柳功