高知の田んぼも

(産地の声)vol.1689 一老農のつぶやき           2025.3.12

 四国88カ所巡りをしている。昨年は徳島県内の23札所を参拝したが、今年は続きで高知県内の24番札所から39番まで巡礼の旅だった。高知県室戸岬の突端で空海が虚空蔵求聞持法を百万回瞑想したという岩屋を見学して旅は始まった。

 

 各お寺では、ろうそくを点し、お線香を立て、本尊で般若心経を唱え、太子堂では真言を唱える。その意味はよく分からないままお経を唱えるのだが、般若心経には、何か身体に染み入るものがある。何遍も読経していると色即是空、空即是色、不増不減、不垢不浄などこの世の真実があるように思えてくる。連れ合いとの二人旅なのだが、自分は手本がないと読経が務まらないが、連れ合いはソラでやる。自分の方が信心が足りないのかな。東の室戸岬から西の足摺岬まで長い旅だった。

 高知県を東から西まで車で走ったが、気になるのは田んぼや畑だ。高知は耕地が少ないのでハウス栽培が盛んだ。現地の人が言うには、狭い耕地で生き残るにはこうしたハウス栽培に特化するのもしかたない、と。

 田んぼは、やはり耕作者がいなくなっているのか荒れ地が目立つのが寂しく悲しい。こうした光景は、日本中に進行してる。あと10年もしないうちにもっと進行するだろう。というのが農の現場の実態なのだが多くの日本人は関心を持っていない。

 TVで評論家が、「日本の田んぼはかって300万ヘクタールあって、今はその半分しか耕作されていない。だから今の米不足を救うには大規模農家にして作ればいいんだ」などと言ってたが、現実を知らない評論だ。

 日本の田んぼの半分は中山間地という段差のある地勢、効率を求める機械化にはむかない。ところによっては大規模経営が出てきているが、それは条件の良い土地に限る。また、いったん荒れ地になってしまうと再び田んぼにするには、その復旧に多大な時間と労力が必要になる。そういうことを分かって言っているのだろうか。

 おそらく小規模の稲作経営は、持ち出しが大半だと推察できる。国もマスコミも後継者が少ないとか、人がいないのでAIや機械化で、などと言って、需要と供給が当たり前などと言ってるが、企業で生産費を計上しないで始める者はいまい。

 農は食べ物を作る仕事で、今やってる人は飢餓状態を体験している人たちだ。先祖の土地を守るということもあってやってきたが、新規にやるというには、採算を考えればやらない。勧められない。何時だったか週刊誌の記者が語っていたが、農業=食は、土地と人が決定的な要因だ、と。EUや米国はそこを分かって手当てをしている。国民的合意として。また、今の日本は自然を大切にしない。自然の恵みで生きているのに。今日は愚痴になってしまった。                  

                                                                                                                                                                                byおかげさま農場・高柳功