雨で仕事にならない時間

(産地の声)vol.1692 一老農のつぶやき           2025.4.2

 雨が続く。晴耕雨読というが、野外に働く人は雨が降ると仕事にならない。一方、晴れたら仕事をしないと進まない。

 

 と言うことで雨模様の時に有吉佐和子の「青い壺」を読んだ。昭和の時代のいろいろな階層の人々が登場する。ご多分に漏れずNHKの100分で名著の番組で紹介があったからなのだが、50年前に書かれた青い壺を巡る物語である。

 昭和の空気があり、一気に読んだ。自分的にはシゲばあさんのところに心が和んだ。欲がなくナポリタンをおかずにしてご飯を食べ、美味しい美味しいと言って、幸せを思うところが面白い。

 NHKも時にはいい番組がある。宮沢賢治も興味深いものだった。有名なアメニモマケズの詩は亡くなった後、弟の清二が遺品整理の中で見つけた手帳に書かれていたものだった。その孫さんが今でも現物を大事に守っている。

 賢治は、農民が豊かになるために全身全霊をかけて生きた。そして、この詩は自分に向けて書かれたもので発表するためのものではなかった。世のため人のため、そして最後には、みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものになりたい その部分が良かった。

 今日の雨の日は雨読とならず、コタツに入りTVを見てたが、またもやお米の話が。分からないことは、お米が安くならない、と値段ばかりを話題にすることだ。値段が問題なのか。食べ物の問題なのではないのか。

 食べ物は国家の一大事なのだという視点がない。為政者は言葉使いが上手い?。国民の食糧がないことの危機があったればこそ、食管法という法律まで作って収穫物を農民の手から国家管理にした。それをいつの間にか稲作農家の為の食管法という方に言い換えしてまで、稲作農家に減反を強いた。

 農家の価格維持のためとお題目を唱え減反政策をしてきたが、実際は価格下落が進んで30年前の半値と採算のとれない(時給10円?)ところまで追い込んでしまった。しかも現状は、70歳以上がその担い手なのだ。その結果が現在の姿なのだ。

 コメンテーターはのんきなものだ。小農をどこまで守るのか、大規模経営をすれば、などと言うがそうはいかない。現状を分かっていない人達の多さに愕然とする。これでは、近い将来大地震や津波などの大災害に見舞われる予測もあるというのに、間に合う話ではないだろう。現実を知らずコメントする輩の多い、またそれに同調する人たちが多数である現状にこの国の将来の危機感をおぼえる、のだが。

                    おかげさま農場・高柳功