続・田んぼの話

(産地の声)vol.1694 一老農のつぶやき           2025.4.16

 先週も書いたが、水利組合の最初の役割は水を出すこと。地元の大須賀川(川幅は10m位)に水門をかけ流域面積20Ha位の水田に給水する。

 

 最初の当番で2度ほど給水バルブの故障で止めた。早速組合員から「水が出ないけど!」と電話がかかってくる。事情を話し了解してもらうが、田んぼは水がいのちなのだ。みんなの気持ちがよく分かる。

 4月4日に給水始め、代掻きが始まったが、昨日あたりから早、田植えが始まった。自分はと言うと、皆より遅れ未だに田起の最中なのだ。今日は孫に田起をしてもらおうと始まったはいいが、早速深みにはまり動けなくなってしまった。

 昼食を挟み、もう一台のトラクターを持って行ってワイヤーで引っ張るが動かず。どうしようかと思案していたところ村の農家が近くで代掻き中ではないか。彼のトラクターの方が大きかったので、頼んで引っ張ってもらった。大きい方が自重もあるので力強く何とか引き上げることができたのだった。

 孫は、運転操作はできるけど田んぼを知らない。一枚一枚全部違う。田んぼのおおきさも違うし、形も違う。この辺の田んぼは水が湧いたりするところが多い。なので同じ運転と言っても機械的の操作ができればいいでは済まない。堅いところと柔いところなど、耕耘の深さの調節をしないとよく仕上がらないのだ。

 TVで評論家が規模を拡大し効率的にやれば良いではないか、などと言うけれど我々からすれば、現場も知らないでよく言うよ!となる。条件の良い所でこそ有効でも、可能なところが日本の水田の半分あるかどうかだろう。

 今年も四国88カ所巡礼の旅で高知県を巡ったが、水田風景を見ながら、「見てみろ、この現状で現実を知らない評論家が言う規模拡大、効率農業ができないことがよく分かるだろう」と連れ合いに話した。マスコミに出てくるほとんどのコメンテーターは現実を知らずに語っていることがよく分かる。

 米問題で米の事、稲作のことを語るマスコミ人の言うことは信用してはいけない、との認識が深まる。要するに分かっていないのだ。分かっていないのに頭の中だけの知見で物を語る。

 想像力がないというか、現実を見ないというか、米問題の語りを聞くと、まるで価格だけが問題で、損得勘定の価値観しか持ち合わせていない。多様な大地自然と折り合いをつけながら農民は米つくりをしてきた。その心を知ってほしいと思うのだが、復活は難しい、と現実を知る者としては思わざるを得ない。 合掌

                    おかげさま農場・高柳功